「知の地域創造」ビジョン

1。緒言
「知の地域創造」という言葉は私がここで初めて使う言葉ではない。「多摩市立図書館本館再構築基本構想」に謳われている言葉である。その名の通り図書館本館再構築をするために取ってつけたような言葉ではあるが、その言葉自身はこれからの多摩市にとって真摯に考えてみる価値はある。
折しも多摩市では、このところパルテノン多摩の改修、本館図書館の移築問題で議論が喧しい。ところがこの議論の中に折角「知の地域創造」という理念を揚げて答申させておきながら、全くこの理念に立ち返っての議論が聞かれない。
そこで私は勝手に、ここにこの言葉に対する妄想を抱く。賛同いただければ幸いである。

2。「知の地域創造」の理解
私の理解は単純である。散在している「知」を「地域」という枠で再結集して新たな価値として「創造」し地域創生に資するのみならず、これを担う者自身が再び輝くことである。
結果として市内から多くの情報が発信され、小さい事業を営む人が増え活気に満ちた街が創出されることである。

3。多摩市ほど「知の地域創造」にふさわしい地域は他にない。
多摩市は日本が輝いていた時代の高度成長を支えた人々が多く住まい、その方々が定年を迎えた、あるいは迎えようとしている街である。
これらの方々は、かつて俊英の営業マン、技術者、教師、法律家、会計士、経営者であった。
ところが安倍内閣も言うように人生100年時代である。60でやめたとしても40年と言う時間がある。
政府は社会保障制度を持続させたいがためにか、60でやめさせないように定年を引き上げようとしている。
しかし今の日本の企業に彼らを養うほど余裕はないのが本音である。若い人にも活躍の場を提供しなけらばならないと言う事情もある。
そんな企業にしがみ付いているのも手かもしれないが、後の40年自分の持っている知識、経験という「知」をもとにしてこれまでとは違った枠組みでもう一度羽ばたいて見たいと考える人は少なからずいるはずだ。もちろん自分で活躍する場を積極的に見つけてグローバルに活躍している人もいるが、その「知」を持て余している人もいよう。その持て余す「知」を地域のために使ってみたいと思う人だっているに違いない。

私はこれらの「知」を「知的余剰」と呼びたい。
多摩市はこの「知的余剰」が最も集積しているところだ。これが多摩市の唯一の資源であると言ってもいい。
この資源を放置しておくことは多摩市のみならず日本にとっても大きな損失で極めてもったいない話である。

この資源を地域という枠組みに取り込み、まさに「知の地域創造」のために活用するという戦略が多摩市の行政にあってもいいはずだ。
これは多摩市でこそできる話であって地方の自治体ではできない。

4。「知の地域創造」のために必要なもの
まず行政はこの「知」を引き出さねばならない。
「知」を引き出すためには課題を与えなければならない。
この課題に、事欠くことはあるまいが如何に課題設定するかは難しい。
課題設定するためには、「知」を引き出すための情報環境が必要だろう。
この情報環境を常に整備しておくことが「図書館」の重要な役割の一つだ。
また行政が単に呼びかけただけでは人は動かない。人を動かすためにはインセンティブも必要だろう。
このインセンティブには多少のコストもかかる。しかしこのコストは何倍にもなって返ってくる。
機会を与えて動機付けをした上で形あるものとして創造するには多くの「知」が交わって、その「知」が融合、結合して化学反応を起こす場が必要がある。
「知の宝庫」となし「情報の拠点」「知の交差点」としての場と情報空間を行政は提供しなければならない。

5。「知の宝庫」「情報の拠点」「知の交差点」としての場と情報空間
このような場は従来は図書館が担ってきた。「知」は印刷された本の中にあって図書館はそれを収容し蔵書数の多い図書館ほど立派な図書館とされてきた。
そしてその蔵書を格納するための重い書架を柱のない広い部屋に隊列の如く並べたいという要望から建築家にとっては格好のテーマとなり各地に奇抜な建物の図書館がある。
しかしICT技術が極度に進む第4次産業革命が進みつつある今、その機能の多くはネット上に移行し、印刷された本ではなくなりつつある。
また情報は活字だけでなく動画、音楽、絵画、写真と多岐にわたる媒体でインターネットという通信網で配信される。
善かれ悪しかれ、このような状況にあることをまず認識した上で「知の地域創造」を実現するための「知の宝庫」「情報の拠点」「知の交差点」としての場と情報空間とはどのようなものなのかを考えてみたい。

まず情報空間としては時と場所は問わない。自宅であれ電車の中であれ公園のベンチであれ居酒屋であれ、夜であれ昼であれだ。これを実現するものはソーシャルネットワーク(SNS)として既に存在して久しい。危惧されるのはこれを一部の政治家のためのツールとしてはいけないということだ。重要なことは「知の宝庫」「情報の拠点」「知の交差点」としてのコンテンツを公のものとしてソーシャルネットワーク上に構築し一般市民のだれにとっても有益なものにすることだ。当然情報は増殖し時には議論としても発展するために、これを公のものとして運用するのは相当難しい。
しかしたとえ難しくてもルールを決め、あらゆる情報のリファレンスとなるものであり同時に「知の地域情報」の発信の場としても重要である。

住民サービスにあたり、ネット上のこれらのシステムは、マスメディア情報への依存が多かったものから一人一人の個人に必要に応じて的確な情報を届けられるという点で非常に有用であり、行政にとっても行政の効率化を進めていく上でこの利用は避けて通れないものだ。
一方で多くの方々が危惧するように、あふれんがばかりの大量の情報があり、その中には公序良俗に反する怪しげな情報、フェイクニュース、偏った意見もある。また個人情報漏洩の問題もある。
したがってこれを使いこなすことは結構難しく特に高齢者の方々には敬遠する人も多い。しかし否が応でも現代人にとっては読み書きソロバンに匹敵する必須のリテラシーになりつつあることは認めねばなるまい。そこでデジタルデバイドの年配者から子供に至るまで彼らに対してこの情報リテラシーを教え、きちっとした情報環境を整備することは社会教育としての行政の重要な役割であろう。

また本に匹敵するコンテンツを整備するという点で言えばインターネットといえどもまともなコンテンツは有料のものが多い。ニューヨークの図書館ではこのような有料サイトも市民であれば図書館が契約して閲覧できるとのことである。新聞社、出版社、著作権者に対してきちっと対価を払い市民には還元する。これは社会的にも文化を維持継続するという意味において意義あることである。

6。リアルな場としての公共施設のイメージ
一方でインターネットが全てではないことも事実である。
むしろより濃密な「知の宝庫」「情報の拠点」「知の交差点」は、目の前にいる人との情報交換の中にあってリアルな場にこそある。

私のイメージとしては以下のようなものだ。
今も図書館に行けば多くの方が静かに本を広げ読書に耽っている。学生たちはノートと鉛筆を持って勉強に勤しんでいる。当然このような方々の居場所は今以上に整備される。
しかし雑誌やその時々のベストセラー程度をおく書架はあっても高度な専門書やまして百科事典などをおく書架はない。従ってそこにある蔵書の数は限られたものだ。その代わり端末が置いてあって図書館ネットワークの中からあらゆる本を取り寄せて読むことができる。もちろん個人のスマホや自宅のPCからもリファレンスでき注文できて入館のタイミング時に準備して置いていてくれる。このようなシステムは今もあるがより洗練されたものだ。

他方4、5人で談笑できる大きなテーブルがある。資料をいくつも広げられて喫茶店のテーブルよりかなり大きい。パソコンの電源があってWiFiも完備している。床は絨毯が敷いてあって壁も消音装置が仕掛けられお隣同士の会話がほとんど気にならない。コーヒーや軽食のサービスがあって、ある高齢者のグループはコーヒーを飲みながらとりとめない話をしているが、あるグループは真剣な商談をしている。またあるグループはイベントの企画を相談している。みんな楽しそうだ。そんな中でテーブル間を行き来する人がいる。ウェーター、ウェートレスではない。どうもテーブルの幾人かとは顔見知りのようだ。声をかけて挨拶している。時に呼び止められてちょっとした相談に乗っている。こんな人は知らないかい? こんな情報はどこかにないかい? といった具合だ。 こんな相談はインターネットにはない。時に図書館の司書という仕事でもあり、ホテルのコンシェルジュのようでもある。

また大小いくつかの教室がある。手習いするところでもあり、イベントを行うところでもある。若いお母さんたちは子供たちに読み聞かせをしている。大人達も読書会をしている。一冊の本を読むにしても人それぞれに読み方があり感想や意見を出し合う。そこに新たなアイデアがわく。正に「知」の創出だ。私は隔月で公開読書会を開催しているが、この重要さ楽しさを改めて感じている。

更にホールがある。一流のオーケストラが使うには十分ではないが市内のコーラスグループが発表会で使う分には十分だ。また著名な講演者がきて講演会場として使うとしても不都合はない。
講演会が終わった後に講演者を囲んでもっと話を聞いて見たい。その講演の感想をグループで話し合って見たい。あるいは講演者の話をもとにしてもう少し調べて見たい。いろんなシチュエーションが考えられるが、そのような時にこそ講演者の話を単に聞くだけで終わらないポジティブな「知」が創出される。このような「知」の創出をサポートするファシリティ(施設機能)が前述のように揃っているということも特徴である。

そしてキッチンが欲しい。イベントの後みんなが材料を持ち寄って料理を楽しむ。イベントでの話題が余韻となり時に盃を交わしながら一層懇親が深まる。

7。結言
私のとりとめない妄想のイメージは以上のようなものだ。図書館でもあり公民館でもありコミセンでもあり複合施設でもある。さらにコワーキングであり、これから事業を始めようとしている人に対してのインキュベーションの場でもある。そんなことなら今でもできるのではないかと思われる方もいよう。
そうなのである。建物は単なる従属物でしかないのである。それがどのようなものであるべきかは自ずと答えがでるはずである。新たに建てる必要があるのか、どのように改修すべきかがである。
「知の地域創造」という理念から考えると重要なのは人のシステムでありそれを担う人なのである。マネージャが重要な役割を果たす。市民でも良いと考えるが適当な人がいなければ三顧の礼をもって、外部からでもこれを運営できる人を連れてくる。
そして上述の図書館の司書、ホテルのコンシェルジュのような従業員は多摩市民を雇う。多摩市民の雇用を増やすという意味でも「知」の結節点になってもらうという意味でも。 予算はそこにこそ使うべきであり何十億もの建設費からすればいくばかりのものか

高度なICT技術の進展、急速に進む高齢化と少子化 時代の転換期にあって旧態依然として箱物ばかりに投資しようとする姿勢にはどうしても酌みできない。
議会での議論も建てること前提のお金の多寡と箱をどこに置くかだけの矮小化した議論に終始していることは一般市民とって極めて嘆かわしいことである。細部の議論はどうしてもAさんによければBさんには都合が悪い。しかし時代の底流を流れるものは何か社会の動向は何かをしっかり捉えて理念から説き起こせばAさんとBさんの共通項が自ずと見えてきて道が見えてくるというものであろう。この仕事こそが政治の仕事というものであろうに!
注釈
①ICT(Information and Communication Technology)は「情報通信技術」の略。ITという言葉からICTへと移行しているようだ。
②インキュベーション(incubation): 新規に事業を起こすことを支援すること。もともとincubationは、卵をかえす「孵化」という意味
③リテラシー(literacy):読解記述能力

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「知の地域創造」ビジョン」への7件のフィードバック

  1. まったく仰る通りです。
    「痴の創造」をされる人達が権力持っている現状を変えるには選挙しかないのかなぁ!

  2. 私の提案を読んでものすごく広い建物がいるのではないかとの感想をいただいた。それは全く逆です。多摩市ほどコミセン・地域図書館・複合施設が充実しているところはありません。
    もしこれらの既存の施設を改善していくのなら、あるいは改修が必要になるのなら、「知の地域創造」の理念に沿って「本」の陳列ではなく「人間」を主役とした施設として見直していけばとの提案です。
    物を陳列して売るより物は倉庫に置いて売る時代なのです。百貨店が廃れコンビニが隆盛する時代なのです。
    中央に大きな建物を作るというより、今あるコミセン・地域館の充実を市民のニーズにあったものとして改善して行く。それは情報システムの改善、人間のシステムとしての改善です。
    本文で書いたように建物は従属物でしかありません。

  3. 今までの一般人の対図書館への理解は次のごとくである そう思います
    紙やCDに印字され 従って 固定されてしまった・知識・知見・歴史記述・エンタテメントを利用出来る知識の倉庫 料金請求なし そんな行政サァヴィスであると

    図書館から その場を利用して 知的活動作業一般・アントレプレナァ支援・地域社会の緩やかな変革・継続して国家の仕組みの最適化を図る その様な道具として設計(運用概念・それを可能にするファシリティ)されることが ヒジョウに望ましい そう思います

    例; 読書会・NPO会合・新規創業に向けたセミナ・各種テイマを持った研究会活動・哲学カフェ・多摩市立小学校中学校同窓会・地域国家の安全保障研究・サロン音楽会可能なホ-ル・器楽声楽練習の場・まだマダ沢山あるナ

    コミセンは利用機会均等原則があり 継続的利用の場所になってないところがある
    コミセン減らし構想に対しては 補完する必要がある
    多摩市の総・文化活動量を担保し且つ増加傾向に対応していく これがほしい

    行政に要求するばかりの態度・姿勢は 同時に避けたいモノです
    有限資源として捉えると 行政サァヴィスも同じこと 
    自身で出来ることは公共サァヴィスを引き受ける そうしたい  

  4. 「知的余剰」の活用  いいですね

    ニューヨーク公共図書館は、アメリカでも図書館では珍しいNPO運営
    シブルB1階の「電子情報センター」では、使用制限はあるものの150種類
    の高価なデータベースが無料で使えるようです。(利用頻度により入替えあり)
    ただ、資金調達を行う専門部署があり、フレンズ・オブ・ライブラリー
    制度を始め、様々な戦略を練って寄付金を集めています。

    市直営の公立図書館が税金を使って行うサービスはどこまで…
    なのでしょうか

    1. ニューヨーク公共図書館のrevenueは3億ドル
      分館はニューヨーク市のお金が大分入っているようですが Stephen,SIBL等 リサーチ館は大部分は収益と寄付で運営されているようです。

      http://xview.moo.jp/wp01/archives/578
      をご覧ください。

  5. 菅谷さんの著書『未来をつくる図書館』の頃と比べてデータベースの種類は5倍以上になっているのですね。昨日(2019/5/11)の図書館基本設計ワークショップにおいて、デジタル社会が進んでいるなかで、データベースがたくさんの人に利用されている様子(価値のある情報は有料)や紙媒体への揺り戻しが起きている(デジタル情報の記憶媒体で再生ができないものが増えているため)ことを常世田氏から教わりました。

    映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の日本での公開を記念して
    4月9日に日比谷図書文化館コンベンションホールで行われたイベントの様子を
    下記のサイトで知ることができます。
    http://moviola.jp/nypl/event.html
    資金のことについても少し触れています。

    分館に市のお金が入っているのは、カーネギーが建設資金を出す際に提示した条件を守っているのではないかと何かで読んだ記憶があります。

    上記のイベントの当日会場では、オンライン投票・投稿システム「イマキク」を使って質問を受付け、その質疑応答の内容が下記に紹介されています。
    http://moviola.jp/nypl/event_imakiku.html

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